5時半起床。前日の天気予報では晴れマークひとつだったのに、寒々しく曇っている。そのうち晴れるだろうと、おろしたてのリュックサックを背負って、いよいよ山へ出かける。
初めて関越道を走る。三芳PAで運転を交代するついでに、朝食。山で食べるために、パンもふたつずつ買った。それからしばらくは私が運転する。もうすぐ高速を下りるというところで、ふたたび恋人と替わり、ずいずい山へ近づいていく。
急なカーブがつづくチェリーパークラインを登ってゆくと、高峰温泉に行き着く。秘湯ランプの宿として有名であるらしい。さらに先へ進もうとすると、遮断機のようなものがある。バーは上がっているけれど、ほんとうにこの道を行っていいのだろうかと不安に駆られながら、おそるおそる車を走らせる。
その不安は、走れば走るほど濃くなった。舗装されていないじゃり道に、体重をかけたらあっという間に崩れ落ちてしまいそうな頼りないガードレール、あちこちに立てられた落石注意の看板、そして実際に上から落ちてきたであろう石などが、私たちの不安をつのらせる。なにしろ後続車も対向車もいないのだ。
だんだん街が遠く小さくなり、山の姿が近づいてくると、ぱっと道が開け、目指す池の平駐車場にたどり着いた。ほっと胸をなでおろす。見れば、これから私たちの登る篭の塔山が、目の前にそびえ立っている。
うわあ、と歓声をあげて車外へ飛び出し、固まった。予想以上に寒いのである。急いで車のなかに戻り、パーカーを2枚重ね、ズボンを穿き替えて分厚い靴下を履いた。そしてこれまたおろしたての登山靴に足を入れ、恋人に紐をきつく締めてもらう。いっぱしの登山者みたいだよ、と恋人に言われ、気分をよくする。
リュックのベルトもぎゅっと締めあげ、いざ出発!
意気揚々と登山道に入ってすぐ、絶句する。そこかしこにまだ雪が残っている。どうりで寒いわけだ。雪のおかげで一気に登山の難易度があがってしまった。「転んだって平気だよ」と、恋人はさくさく進んでいくけれど、雪道はおろか山道だって歩き慣れていない私は、おっかなびっくり雪の上に足を置いていく。そんな私をあざ笑うかのように、雪は途切れたかと思うと、突然また現れては行く手を阻む。
へっぴり腰にしかめ面で歩く私を、振り返り振り返りしながら、「雪さえなければ簡単な道なんだけどなぁ」と恋人もため息をつく。あとで聞いたところによると、恋人は私が登山嫌いになってしまわぬよう、必死だったのだという。けれど私は私で、遅々として前へ進めない私に恋人が愛想を尽かし、もうかなかとは山に行かないなどと言い出さないように、懸命にがんばっていたのだ。
そうこうするうち、なんとか樹林帯を抜け、雪道が終わった。今度は同じ道を下って帰るのかと思うと、内心不安でいっぱいだったけれど、頂上が近づくにつれて、だんだん楽しさのほうが勝ってきた。
ときおり、足を止めて、歩いてきた道を振り返ってみる。そのたびに、こんなに登ってきたのかといちいち驚く。そうして、もっと上へという気持ちが強くなり、突き動かされるように足が前へ出る。
「頂上だよ」
恋人の声に顔をあげると、ガレ場の先に、東篭の塔山の頂上が見えた。あと少し、もう少し。足元をたしかめながら、にじりにじり登ってゆくと、とうとう頂上にたどり着いた。池の平より約50分の道のりであった。
岩に腰を下ろして、しばし頂からの眺めを楽しむ。ぐるり360度の眺望である。はるか彼方に、私たちの乗ってきた車が見晴るかせ、ずいぶん登ってきたものだとあらためて感心した。風もなく、私たちのほかには初老の男性がひとりいるだけの、静かな時間であった。
さて、もういっちょ行くかと腰をあげる。実はまだ、西篭の塔山が私たちを待っているのだ。尾根伝いに東篭の塔山を下ってゆくと、また雪道に行き当たる。しかも今度のは狭く険しい下りで、なかなか手ごわい。ここで恋人が登山用の手袋を貸してくれた。これで両脇の木をつかみながら行けるし、手をついてしまっても安心だ。
恋人の案内に助けられながら、なんとかこの急場を脱すると、あとはまた登りのガレ場が続く。こちらはもう慣れたものだ。雪の下りと比べたら、数段歩きいい。そうして約30分で、西篭の塔山の頂上に着いた。
こちらは東のように360度の眺望とはいかなかったけれど、誰もおらず、リュックサックを下ろしてのんびり休憩した。 先ほどまでいた東篭の塔山がよく見える。足元ばかりを見て歩いているときには気づかないけれど、たった30分でけっこうな距離を歩けるものだ。そう思ったときには、もう登山に魅せられていたのかもしれない。
ふたたびリュックを背負って、来た道を引き返す。ふと気づけば、雪道に対する苦手意識がだいぶ軽減されて、恋人の助けを借りなくてもさくさく歩けるようになっている。東の頂上に戻ったところで、昼食。三芳PAで買ったパンを食べる。今度は中年の夫婦がいて、「そっちの道は難しくないの?」「辛いなら待ってるか?」などとやりとりをしているのがおかしかった。
30分ほど休憩して、山を下る。恋人に教わったように、歩幅を小さく、腰を低く、できるだけ足首をまっすぐにして静かに足を下ろす、ということを意識しながら歩いてみる。そのおかげか、あるいは昼の間に雪が少し解けたおかげか、なんだかあっという間に下ってしまった。あんなに帰り道を心配していたことが嘘のようである。
そんなわけで、私の誕生日記念登山は、約4時間半で幕を閉じた。達成感を胸に、車で山を下り、菱野温泉は常盤館の立ち寄り湯に行く。トロッコ電車で露天風呂まで連れて行ってくれるという、一風変わった宿なのである。残念ながらメンテナンスのため、もっとも眺めのよい大桶風呂は閉鎖されていたけれど、登山の疲れを癒すには、大石風呂で十分だった。
つるつるぴかぴかになって、今宵の宿へ。島崎藤村ゆかりの中棚荘という宿である。名物は初恋りんご風呂で、その名も「文人風呂」。ぜひご利益にあやかりたいものだ。
館内は階段が多く、文人風呂もまた遠い。山でさんざん登り下りを繰り返してきた私たちには、少々こたえたけれど、それを除けばすばらしくいい宿であった。窓辺に置かれた文机と長座布団、火を入れた暖炉とライブラリー、館内を歩くときのためにと用意された篭など、細やかな心配りがうれしい。
長くなったので詳細は省くけれど、着いてすぐ、山羊や豚のいる前庭を散歩したり、食後には卓球まで楽しんだ私たちは、なかなかに元気である。でもさすがにからだは正直で、布団に入った途端、急坂を転げるように眠りに落ちていった。
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