5時起床。踊りだしたくなるほどいいお天気。二度目の登山を前に気持ちが昂っていたのか、目は閉じていても一晩中うっすら覚醒しているような状態で、ほとんど眠れなかったというのに、この抜けるような青空を見た途端、活力がみなぎってくる。
リュックサックと登山靴を車に積んで、一路、勝沼へ。
6時40分頃、朝食をとるために談合坂SAに入る。フードコートは営業しているものの、パン屋とレストランはまだ開店準備中となっている。無理もない。いつもなら私たちだってまだ布団のなかにいる時間だ。それが今日は、こんなにも遠くにいるのだから、おもしろい。
フードコートでおにぎりと豚汁を買い、よその旅人たちにまじって食べた。食事をしている間に7時になり、パン屋が開店したので、昼食用にそれぞれふたつずつパンを買って、先を急ぐ。途中でぽっかり富士山が見え、思わず歓声をあげてしまった。
勝沼で高速を下りると、今度は山肌に沿って、うねうねした道を30分ばかり走る。一度は視界から消えた富士が、木立の間からふたたび顔をのぞかせ、登山への期待をかきたてる。
8時30分、上日川峠の駐車場に到着。もはや携帯の電波も届かない。ズボンを穿き替え、登山靴に足を入れると、恋人にぎゅうぎゅうきつく締めあげてもらう。そしてピンクのリュックを背負い、いざ出発!
8時50分、ロッヂ長兵衛の脇から伸びる登山道を歩き始める。道は、林道と舗装された道路と二手に分かれていたのだけれど、まだ歩きはじめだからと舗装されたほうを選ぶ。ところが、コンクリートは衝撃をまったく吸収してくれないので、すぐに疲れてくる。それを察したのか、恋人が「最初がいちばん辛いもんだよ」と励ましてくれる。
20分ほど我慢して歩くと、福ちゃん荘という山小屋に着いた。ここからいよいよ山道に分け入っていく。
少し行くと、今度は右手に、富士見山荘という山小屋が現れる。展望デッキが設けられており、その名のとおり、立派な富士を拝むことができた。あまりの見事さに、つい足を止めて見とれてしまう。さんざん登山をしてきた恋人ですら、富士山がこんなにくっきり見えたのは初めてだと、息をのむ。
そこからしばらくは、針葉樹林帯を歩く。かなりの傾斜を登っているはずなのに、恋人の言うように、登りはじめのような辛さはなくなっている。前回の篭の塔山(かごのとやま)登山で私を閉口させた残雪もなく、歩きやすい道が続く。
やがて道が開け、眺望の美しさを謳う介山荘という山小屋にぶつかれば、もう大菩薩峠。標高1897メートル地点である。
ここから雷岩までの尾根道は、まさに絶景。はるか下方に甲府盆地が見晴るかせたかと思えば、その背後に南アルプス、そして私たちの左手後方には、どどんと富士がそびえている。ほかに登山者の姿も見えず、この大パノラマをふたり占めである。アップダウンを繰り返しながら、ところどころで足を止め、思う存分その眺望を楽しんだ。
強風吹き荒れる雷岩で、しばし休憩をとる。このとき11時。上日川峠より約2時間の道のりであった。
15分ばかり休んで、大菩薩嶺の頂上を極める。といっても、2057メートルの頂上は樹林帯になっていて、ぐるりを木に囲まれているため、展望はのぞめない。山頂の碑だけ写真に収めると、すぐにもと来た道を雷岩まで引き返した。
11時45分、下山をはじめる。ずいぶんな急坂で、私は足元をたしかめながらおっかなびっくり進んだ。ふう、と息をついて顔をあげたときに見える景色は、息をのむほどに美しく、その都度写真を撮りながらゆるゆる歩く。
やがてまた樹林帯に入り、へっぴり腰で進む私を厳かに見守っていた富士も見えなくなった。代わりに、根元から豪快に倒れた木や、どういう理由でか幹の途中から折れた木が現れて、ときに行く手を阻む。それで串田孫一『もう登らない山』の一節を思い出す。
「台風が直撃した直後の山へ行って、そこを殴りつけた風の太い腕を思ったことが何度かあった。」 風の太い腕。私の好きな一節である。
下ること約50分、ふたたび福ちゃん荘まで戻ってきた。私の体重を支えつづけてきた膝に、そろそろ疲れがたまりはじめていたところだったので、ベンチに腰かけてしばし休む。そして今度は舗装されていない林道のほうを選んで、さらに下る。
あともう少しだ、という気持ちのゆるみが事故につながるからと、できるだけ先のことは考えないようにして、もくもくと歩く。土に還ろうとする落ち葉を踏みしめ、倒木をまたぎ、ときどき木立の間から降りそそぐ陽光を仰ぎ見て、歩く、歩く。「あと3分!ビール冷えてます」という手描きの立て看板が目に入ったときには、ほっとした。
午後1時5分、無事下山。上日川峠の駐車場に戻ってくる。なんだかあっという間の4時間だった。
車のなかで着替えて、談合坂SAで買ったパンを食べる。ほとんど寝ずに登山をした割には、いたって元気である。恋人に運転を託し、またうねうねした山道を勝沼まで戻ると、今度はほったらかし温泉なる立ち寄り湯を目指す。これまた絶景を売りにした、大きなお風呂であるらしい。
ところが、あろうことかカーナビが道を間違え、曲がるべき交差点を通り過ぎてしまった。仕方なく、ぐるりとまわってもとへ戻る。その間ナビは、「新しいルートに…、新しいルートに…、新しいルートに変更します」と何度かどもったあげく、しまいにはナビゲートを放棄してしまった。「おまえに頼りきりだった私たちが悪かったよ」と言って、そっとルートを消去する。
けれど、ナビが間違えるのもうなずけるほど、それはとてもわかりづらい道のりだった。HPの道案内をコピーしたものと首っ引きで、それでも何度か不安になりながら、ようやくたどりつく。
600円払って入浴チケットを購入し、恋人と待ち合わせ時間を決めて、女湯ののれんをくぐる。ほったらかし温泉には、もとからあった「こっちの湯」と、新設された「あっちの湯」とがあるのだけれど、私たちはより眺望の良さそうな「あっちの湯」に入った。
屋内のカランでわしわしからだを洗って、いざ露天風呂へ出てみると、たしかにすごい眺望。眼下には広大な甲府盆地、右手には富士山、そして左手には私たちが登ってきたばかりの大菩薩嶺が見える。なにしろ視界をさえぎるものといえば、隣の男湯との仕切りのみ。露天風呂にあるべき目隠しもなにもないのだ。からだを隠そうにも隠しようがなく、いっそ清々しい。
そしてその湯ぶねの広いこと。まず手前に木のお風呂があり、そこだけではも優に20人は入れるというのに、さらに1段下がったところに岩風呂があって、こちらは30人くらいは入れそうである。(さすがに写真は撮れなかったので、こちらを参照すべし)贅沢な景色を味わいながら、ぬるめのお湯にゆったりつかって、登山の疲れを癒した。
ここにはもうひとつおもしろいものがあって、それは屋外にある女子トイレ。それぞれの個室に窓がついていて、便座がみなそちらのほうを向いているのだ。だから用を足しながら眺望を楽しめるという、一風変わったトイレなのである。
午後4時、少しの疲れと、たっぷりの充実感をからだにつめこんで、家路につく。「次は金峰山(きんぷさん)だからね」と、恋人が私に極上の笑みをむける。たしかに「明日、山行くぞ」と言って、のこのこついてくるのは私くらいのものだろう。もう30の声を聞くころだというのに、こんなにお気楽でいいものだろうかと、しばらく悩んだのだった。
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