5時半、那須岳を目指して出発。予報どおりの快晴。
ところが、もう少しで佐野というところまで来て、「キリ発生 80km規制」という電光掲示板に出くわした。こんなにいいお天気なのに、まさか、と半信半疑で進んでいくと、ふわっと雲に吸いこまれるようにして、霧に包まれたのである。霞のなかにぼうと立つ木々の姿は、まるで映画に登場する深閑としたヨーロッパの森のようである。やがて霧は晴れ、青空が戻ったけれど、なんとも不思議な体験だった。
8時半、那須ロープウェイ駅に到着。いざ登らん、と気持ちを奮い立たせたのも束の間、駐車を待つ長い列に巻きこまれる。いつになったら順番がまわってくるのか、見当もつかいないので、仕方なく回れ右をして少し坂を下った空き地に車を停め、そこから駅まで歩くことにした。
ところどころ紅く色づきはじめた那須岳は、中高年ハイカーたちに人気があるらしく、ロープウェイ乗り場には、私たちと同じようにリュックを背負ったひとたちがたくさんいる。さらには遠足とおぼしきちびっこまで同じゴンドラに乗り合わせて、にぎやかなことこの上ない。
ロープウェイはほんの数分で、私たちを那須岳のひとつ、茶臼の9合目まで運んでしまう。茶臼はいまだにあちこちから噴煙をあげる活火山である。それゆえ、さほど高い山ではない(約1900m)のに、頂上付近にはまったく木々が生えておらず、ロープウェイを降りたとたんに展望がひらける。同乗したちびっこたちは、さっそく展望台に散らばって歓声(ときに奇声)をあげていた。
そんな彼らに追いつかれまいと、私たちはさっそく頂上を目指して歩きはじめる。展望がよいのはいいのだけれど、ざらざらした火山礫からなる道は、すっきりとした見た目に反して歩きづらい。現に、足をすべらせて転ぶひとも見かけた。慎重に歩を進める。
頂上に近づくにつれて、火山礫はどんどん大きくなり、やがてごろごろした岩の転がるガレ場になった。そうして、登りはじめてから約40分、茶臼岳の頂上に到着。雄大な景色がひろがる。
まだ昼までは間があったのだけれど、おなかの空いた私たちは、風の弱い場所を選んで早めのランチをいただいた。しばしの休憩ののち、今度は朝日岳を目指してふたたび歩きはじめる。
さすがは活火山。岩の隙間からもくもくと煙が立ちのぼる。ときどき思い出したように、ぼぉーというジェット機のような音が聞こえてきたけれど、ひょっとするとあれも噴気の音だったのかもしれない。
噴煙をとらえた写真のむこう側、赤茶けた岩肌をさらすのが、目指す朝日岳である。よくよく見れば、岩肌にくねくねと伸びる道がつけられ、ひとが点になって歩いている様子がわかる。私たちもこれからその道を行くのだ。
噴火口とおぼしき、すり鉢型の凹みをなぞるようにして茶臼岳を下ると、えんじ色の屋根を持つ小屋が見えてくる。それが峰ノ茶屋。茶屋と言っても非難小屋である。このあたりは風の通り道になっているらしく、強烈な突風に飛ばされて遭難した登山者もいるという。幸い、今日は風も穏やかで、たくさんの登山者が小屋のまわりに腰を下ろして休憩をとっていた。
さらに先へ進むと、「危険」と書かれた看板が設置されている。ここから朝日岳に至る登山道は危険だと注意を促す看板なのであった。そんなこと一言も言っていなかったじゃないか!と恋人をにらんでみたけれど、恋人は「へいきへいき」と、素知らぬ顔で先へ進む。はてさて、いったいどんな危険が待ち受けているのやら。
山腹につけられた道は、たしかに狭く、ほかの登山者とすれ違うにはどちらかが道を譲らなければならなかったけれど、秋色に染まった草花が風に揺れる平和な道であった。しかしさらにぽくぽく歩いていくと、私にとっては初めてのクサリ場に出くわしたのである。
クサリ場とは、まさにクサリの打ちつけられた岩場。中高年ハイカーがこれだけ訪れる山なので、さほど険しい道ではないけれど、それでもうっかり足をすべらせようものなら、間違いなく骨折以上のケガをするだろうことは容易に想像できた。
ただでさえ運動神経の鈍い私は、自分でも笑ってしまうくらい真剣に、それこそ山肌にかじりつくようにしてクサリ場を歩いた。やっとの思いで長いクサリ場を抜けても、山頂にかけてさらに険しい道がつづく。足がすくんでしまいそうだったので、なるたけ後ろを振り返らないようにして、もくもくと歩く。ふと顔をあげれば、ついさっきまでいた茶臼の頂上が、もううんと遠くに見える。
12時20分、朝日岳の頂上到着。リュックをおろしてひと休みする。昼を過ぎて雲が出てきたものの、四方の山がよく見渡せる。
しばらく休んで、下山を開始する。同じようにクサリ場を通って帰るのだけれど、なんとか無事に危険をくぐり抜けた安堵からか、なんでもない道で石ころにけつまずいて、派手に転んでしまった。先ほど「平和」と書いた、あの道である。
クサリ場付近でなくてよかったと、ほっと胸をなでおろしたものの、転んだ拍子に石にしたたかにぶつけた左手が、じんじん痛い。手袋をはずしてみれば、もう赤黒く腫れている。「危険」はこんなところに潜んでいた。
とんだハプニングに見舞われたものの、14時、無事に下山。朝ロープウェイに乗った駅まで戻ってくる。駐車場は相変わらず満車で、大型バスも何台も乗りつけていた。乳酸のたまった足を引きずって車へ戻り、車内で着替えて、今宵の宿へむかう。なにしろふたりきりの打ち上げなので、ちょっと奮発して贅沢なホテルをとったのである。
案内された部屋は、予想どおり、幾たびもため息をこぼしてしまうほどすてきな部屋であった。けれど登山で疲れた私たちは、大浴場で汗を流すと、部屋のすばらしさを堪能する間もなく、眠りに落ちてしまった。そうして、予約を入れておいたレストランからの電話に夢を破られるまで、たっぷり2時間も夕寝をむさぼったのだった。
最近のコメント